メジャーリーグで唯一、全30球団が共通して永久欠番にしている背番号「42」。
なぜこの番号だけが特別扱いされているのでしょうか?
その理由をたどると、アメリカの歴史、そして野球の意義そのものにまでさかのぼることになります。
黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソン
背番号「42」を永久欠番にした張本人は、ジャッキー・ロビンソンという一人の選手です。
彼は1947年、ブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)からメジャーデビューし、黒人選手として初めて人種の壁を越えてメジャーリーグでプレーしました。
当時のアメリカは、公共交通機関からレストラン、スポーツの世界に至るまで、「白人専用」「黒人専用」という人種隔離が当たり前の時代。
野球も例外ではなく、黒人選手は「ニグロリーグ」と呼ばれる独自のリーグでプレーしていました。
そんな中、ロビンソンは白人ばかりのメジャーリーグにたった一人で挑んだのです。

差別と闘いながら、成績でも一流だった
彼の挑戦は、ただのスポーツ参加ではありませんでした。
敵チームからの暴言、観客からの罵声、時には味方選手からも冷たい視線を浴びながら、ロビンソンは言い返すことなくプレーで実力を証明していきます。
ルーキーイヤーには盗塁王に輝き、その後もオールスターに6度選出、MVPも受賞。
「言い訳せず、結果で示す」という姿勢は、アメリカ全体の人種意識を変えていく大きなきっかけになりました。
メジャー全体での「42番」永久欠番は異例中の異例
1997年、彼のメジャーデビューからちょうど50年の節目に、メジャーリーグ機構は「42番を全球団で永久欠番にする」と発表しました。
**これがメジャー史上初、そして唯一の「全チーム共通の永久欠番」**です。
つまり、どのチームでも、もう「42番」を新たにつける選手はいないのです。
ただし「最後の42番」もいた
この永久欠番には特別な経過措置がありました。1997年当時すでに「42」をつけていた選手は、引退までそのまま使用を許されるというルールです。
そしてその中で最も有名なのが、ヤンキースのマリアノ・リベラ。彼は守護神として活躍し、2013年の引退まで「42番」を背負い続けました。
彼は**ジャッキー・ロビンソンを象徴する番号を背負った「最後の男」**としても語り継がれています。
「ジャッキー・ロビンソン・デー」には全員が「42」
毎年4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」として、メジャー全選手・監督・審判が「42番」のユニフォームを着て試合に出場します。
これは、彼の功績を称え、野球が人種の壁を超える力を持つことを再認識する特別な一日です。
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